2015年9月13日日曜日

赤間で出会ったピエタ像


 
私は、 
転勤族のオットについて、仕方なく各地を回っている、
わけでは、どうやらなさそうだな、と気づいたのは
いつ頃だったかな。
 
オットのタイミングとは別のところで、
「私自身の人生におけるタイミング」がある、と、
転勤のたびに思わされます。
 
今、部屋を借りようとしている場所は、
赤間神宮の裏手にある、
その名前も「赤間町ビル」の一室です。
 
わりとトントンと話が進んでいます。
周りのお膳立てというか、
そこまでしてもらっていいのかな、という感じ。

源平合戦で
みずからの敗北をさとった平家方の安徳天皇と
祖母の二位の尼(清盛の妻)が、
壇ノ浦で入水し、平氏は滅亡しました。

その魂を祀っているのが赤間神宮なんです。
(まあ、私は安徳天皇生き延び説を信じていますが)

娘が
夏休みの宿題で赤間神宮を調べると言いました。

その数日後、
長男と書店に行って、支払いを済ませ振り返ったら
平積みになった雑誌と目が合いました。


私は、一瞬動けなくて、
娘の資料のためにその本を購入しました。

その後、赤間神宮を初めて訪れました。
娘と一緒にです。


そのとき、一つの像を目にしました。

繭のような卵型の中から、
母と子が頬を寄せ合って顔を出しているんです。

最初何気なく見ていましたが、
それが「ピエタ像」に重なって見えたんです。





















天皇と二位の尼は孫ー祖母ですが、
その像に

「男性性社会の犠牲となって海の底に埋没された母と子」

というイメージを感じたんですね。

ハッとしました。

入水の真偽はともかく、
この地はそんなエネルギーをまとっているんだな、
と改めて感じたんです。
 
北九州と下関は
地形的に、
まるで両手を上下に重ねようとしているような
形をしています。
下関に来た時から、それがずっと気になっていました。

手を重ね合わせたところに、関門海峡があります。
 
潮の流れのはやい この場所は
門司側に
和布刈神社があるように
海神の娘(豊玉姫)の豊穣の力が宿っていたのでしょう。

地球の生命は海から生まれたように
海(うみ)は「産み」ですから。

かつて、英国をはじめとする列強が
この地を攻撃したように
意味を知る者にとっては
喉から手が出るほど欲しい場所。

もとは一つだった 海の豊穣の珠は
赤と白の珠に分けられた。

ここから、
一つのものを赤と白に分かれて
互いに奪い合う、不毛の時代が始まった。

やった、やられたのくりかえし。

源氏平氏が、白と赤で戦ったのは
象徴的なできごとだったかもしれません。

そして、生き残った平家の女官は
ここで遊女となったと。

下関が、花魁発祥の地と称されるように
この地には、そういった
男性性社会の犠牲になった女性性の痛みがある。

子を手放さざるを得なかった豊玉姫に始まる
女性集合意識の中の悲しみや恨み、
祝福されて生まれ得なかった小さな赤子たちの想いが
沈んでいる。
※遊女さんたちは望まない妊娠が多かった

赤間のピエタ像を見た後、
神社の敷地を歩きながら
ずっと「引き裂かれた母と子」の思いが渦巻いていました。
  
そんな赤間神宮のお膝元で、
私がこれからしていくことは

「埋没された母と子をすくい上げる」ことなんだと。

それこそが、かつて同じように
この地で一度沈んだ私自身(の女性性)を
引き上げ、救済することになるんだ、と。

いやだとか、
やりたくないとか、
逃げ出したいとか、
不安だとか、
私じゃなくても、とか
言ってられない(進むしかない)

あなたがここで終わらせ、切り拓いてほしいと

言われたような気がしました。
この時、腹が決まったように思います。


この時感じたメッセージは、
この先(下関にあと13年はいる予定です)

自分を見失いそうになったとき、
おごりが見えたとき、
いつも立ち返るべき原点になるだろうと思っています。



そんなつもりじゃなかったのに
途中から、止まらなくなり、
ちょっとオカルトチックな話になりました。

 

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