2015年8月2日日曜日

子どもを産んで、私の中にも何かが産み落とされた【閲覧注意】



わが家にやってきた赤ちゃん。

しかし、一緒の生活が始まると驚愕しました。


まず
子どもがこんなに泣く生き物だとは
知らなかったんです。

3人ともそれぞれですが
最初の子は、本当によく泣いていました。

子どもが泣くと、すべての時間を奪われました。
泣き始めるとどうしていいかわからず
とりあえず抱っこして、お乳をのませて
それでも
時に、5時間も6時間もぐずぐず言っていました。

オットが帰宅して
抱っこを代わるとぴたりと泣き止みます。

あの数時間は何だったんだ・・・・

今ならわかりますが
その時は、
むなしさが募り、悔しくて
「母親失格」って責められているようでした。


さいわい、
オットは協力的で、
頼んだことを断られたことはありません。
子供の面倒もよくみてくれます。

が、
近くに頼る人もおらず、
オットのいない昼間、
ずっと赤ちゃんのお守りをしながら
ものすごく孤独でした。

「私はこんなに大変なのに」

毎朝、出勤していくオットの後姿を
恨めしく見ていました。

「付き合いで」と、
飲み会で遅く帰宅するオットを
締め出したこともあります。

自分だけが社会から切り離されて
色鮮やかな世界から
どんどん取り残されていくような
そんな寂しさをかんじていたんですね。

泣かれるたびに
私は「母親失格」「母親失格」と
責められているように感じました。

赤ちゃんに「お前のせいだ」「お前のせいだ」と
言われているようでした。

「早く泣き止ませないと」
抱っこしても泣いて、床に置いたらまた泣いて
わたしも一緒に耳をふさいで泣いていました。

座布団、
かぶせられたらどんなにいいだろうって
思ったことがあります。

かぶせたら、ニュースになる
かぶせなかったから、いま、こうして書いている。

その差は、なんだろうと思います。
私と、ニュースになった母親に
どれだけの差があるのだろうと、思います。

「子どもを産む」ということは
現実の中に
「自分の中の内なる子」を産み落とすことなんですね。


「悪いところばかり、親に似る」


私が隠してきた内面、
私が嫌悪してきた内面、
私が恐れおののいている内面、

そのすべての要素を持って
子どもは生まれてくるんですね。
それを、
目の前に見せられるんです。


だから、私は
怖かったんですね。

おなかの中で
赤ちゃんが大きくなってくことが。

それが、私自身を内側から圧迫して
やがて眼の前に姿を現すことが。

得体のしれない恐怖として、
ずっと感じていたんですね。

その時はわかりませんでした。
わからないがゆえに
自分はダメな人間だと、自分を責めました。


子どもがいる限り、振り回され続ける・・・・。

子どものせいで、子どもがいなければ

そうやって子どものことも責めました。


父親にとっても
母親にとっても
親になるということは
そうやって
自分の内面を否応なく映し出す「鏡」を
産み出すことなのですね。

「親になる」ということは
そんな学びの道を、みずから選択した、
ということなのです。

マタニティ教室や、マタニティ雑誌では
そんなことは教えてくれません。

「懐妊」はおめでたいことですからね。
そんな、
水をさすようなこと、
寝た子を起こすようなこと
教えるわけありません。

だからこそ、
子どもを産んで初めて出会う感情に直面して
お母さん、お父さんたちは
悶々とし、時に爆発し
「こんなはずじゃなかったのに」と
悩むんです。

「何もまちがっていない」
「何もわるくない」

今の私なら、あの時の私に言ってあげられます。

「よく頑張っているよ」
「よくまあ、投げ出さずにやってこれたよね」って。



※子どもを産んで楽しいこともたくさんありますよ。
    けれども、そういったキラキラなことは、まあ、
    ほかのブログにいっぱい書いてあるのでね。
 
  「あなただけじゃないよ」という方を書いてみました。
  



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