2015年8月5日水曜日

誰も来なかった日(2)~恥ずかしい感情と向き合う



(1)では、
「レッスンに誰も来ない =私は必要とされていない」
という感情についてお話しました。

もう一つ、経験したものがあります。

「恥ずかしい」という感情

誰も来ないなんて恥ずかしい。


たとえ誰も来なくても、
そのことを
私以外誰も「知らなければ」恥ずかしい思いはしません。

しかし、他人と交わった時点で
「社会の目」が生まれます。

私は人からどう思われているか。

会場の隣が事務室なんです。
事務室の職員さんには
引き戸を通して、隣の様子がなんとなくわかるわけです。

「初日、誰も来なかったんだ」

私は事務室の職員さんにそんなふうに
思われているに違いない、と
思ったんですね。


職員さんが、自分のことをどう見ているか
「ヨガやるって言っといて、だれも来ないなんて」って
思われたら
恥ずかしいな~、恥ずかしいな~、みっともないな~

この「みっともない」「恥ずかしい」という感情とも
向き合っていきます。

「みっともない」「恥ずかしい」というのは、
誰かを意識したからこそ生まれる感情で、
社会の中で生きていくときに、
けっこうブレーキとして行動を制限するように思います。

私が
「誰かを意識したから」生まれる感情、
ここ ポイントです。

「誰かに意識されたから」、ではないんですね。


私がそう感じた。
すべては私の心の中で起こっていることなんです。


恥ずかしいような失態を
気に病む
気にしない
笑いに変える
それは、すべて自分のとらえ方次第なんです。


NONSTYLEの井上さんとか見ていると
そう思います。
彼は「自分の存在価値」について
揺るぎないものを持っています。

彼の放つ自己肯定感はすごいと思います。

そうすると、
自分の存在価値にどこか後ろ暗いものがある人達は
無意識に嫉妬を感じます。

彼をどうにかして傷つけて引き落としてやろうと
するんですね。

引き落とそうとすればするほどに
揺るがない井上さんを前にして
自分がみじめになっていく・・・・。

きも~い、とか言って彼を落としながら
それでもつい見てしまうのは

嫉妬の裏に羨望があるから。

「あれだけ自分のことが好きでいられたらいいな」
「あれだけ自分大好き、ってつらぬけたらいいな」
という。

と、私は解釈して彼を見ております。


話はそれましたが

前に進めない、
一歩が踏み出せない

そんな人は、
「恥ずかしい」という感情と向き合ってみるといいと思います。

どうやって?

とことん感じることです。

「あ~はずかしい!」って。





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